おかげさまで50周年

おかげさまで50周年
おかげさまで50周年

創立五十周年の記念誌を発刊するにあたり一言御挨拶を申し上げます。
当社は昭和35年9月27日初代岩谷社長が創業され、お陰様でこの9月で丸50年を迎えました。これも一重にわが社に勤務された役職員の努力と地域の皆様方のご指導とお力添えのお陰と深く感謝して心からお礼申し上げます。

会社が半世紀以上も存続するということは大変な重みがあると思います。存続するにはそれだけの理由があります。幾多の逆境をくぐり抜け、耐え抜いて生き続けて参りました。

今一度、当社のしぶとさや運の歴史、また当社に宿る生命力と言いますか、会社のDNAというものを思い返し、確認したいと思います。

* 旗上式
 旗上式

初代の岩谷社長時代は、創立までの生みの苦しさから始まり、設立から欠損の連続で、第四期決算では、自己資本金がマイナスとなりました。それからが増々苦労の連続で、やっと10年目にして配当金を出せるところまでに成長しました。
それ以降は当時の井上専務の活躍により、松江地区の販路拡大と共に順調に業績を伸ばし、自己資本比率15%と、会社の基礎を築いて頂きました。

二代目の井上社長時代は、運悪く景気の谷が到来し、昭和58年の円高不況から売上が半減し、赤字までには至りませんでしたが、役職員とも厳しい状況が続きました。ところが、井上社長は先見の明があり、水道業界にも維持管理時代が到来することを予見され、山陰両県で初の漏水調査事業を創設され、以降に飛躍的な利益を生むシステムを構築する事となりました。

平成に入りますと、三代目の福島社長にバトンタッチされ、バブル崩壊後の政府の景気対策とインフラ整備とがあいまって、当社及び水道業界にとっては、二度と来ないような過去最高の売上、利益を計上しました。そこで、福島社長が成し得られた事は、健全経営の推進で自己資本比率68%と驚異的な健全企業として磐石な体制を確立されました。ところが、残念なことに悪質な病魔に襲われ、幸せな余生を送ることなく急逝されました。

*石碑の除幕式
石碑の除幕式

急遽、非才な私が跡を継いだものの、公共工事の激減も重なり何の手立ても出来ず就任早々、一億円以上の営業損失を余儀なくされ、以後三年連続赤字決算となりました。これでは会社の存続も危ういと、資産を取り崩し、コンサルタント等も投入しながら、社員一丸となり経営改善に取り組みました。

その結果、50周年の節目の年に売上高経常利益率3.8%を計上できるようになりました。これからも気持ちを新たにして次の100周年に向かって、「水と光と空気を通して豊かな環境づくり」を提供できるよう「人に優しく」「環境に優しい」企業となり、地域社会に貢献すべく努力を重ねる所存でございます。

*本社玄関横に設置された 石碑
本社玄関横に設置された 石碑

具体的には、経営の師とあがめられる松下幸之助様の言葉に「雨が降れば傘をさす」という経営者へのメッセージがあります。平凡な当たり前のことを当たり前に行うという経営の考え方です。この、至極簡単当たり前のことを適時適切に実行する事を皆様にお誓い申し上げます。

後継社長としてまだまだ未熟者でありますが「継続は力なり」を糧に精一杯努力する所存でありますので、今後とも変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
最後になりますが、皆様方の益々のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。

平成22年9月吉日

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